はじめに
従来の「自筆証書遺言」には、「①要式不備で無効になりやすい」「②紛失・隠匿・改ざんのリスクがある」「③死後に家庭裁判所の『検認』が必要で相続人の負担が大きい」という三つの大きな弱点がありました。このうち、特に②と③の弱点を解消し、自筆証書遺言を利用しやすくするために、2020年7月10日から新たに開始されたのが「法務局における自筆証書遺言書保管制度」です。
これは、ご自身で作成した自筆証書遺言書を、法務局が原本を画像データと共に安全に長期間保管してくれる制度です。公正証書遺言より費用を抑えつつ、自宅保管のリスクを大幅に軽減できるため、利用が広がっています。しかし、この制度は万能ではなく、その限界を正しく理解しないと、「政府機関に預けたから万全だ」という誤った安心感から、かえって深刻な紛争を招く危険性も孕んでいます。本稿では、この制度の仕組み、メリット、そして制度の限界(デメリット)を明らかにし、どのような人がどう利用すべきかを専門家の視点から解説します。
Q&A:法務局保管制度に関するよくある質問
Q1: 「法務局保管制度」を利用するメリットは何ですか? 家庭裁判所の「検認」は不要になりますか?
はい、メリットの1つは「家庭裁判所の検認が不要になる」ことです。従来の自宅保管の自筆証書遺言は、相続開始後、不動産登記や預金解約に使う前に、必ず家庭裁判所で「検認」手続きを経る必要がありました。これには相続人全員の戸籍収集や裁判所への出頭など、1~2ヶ月の期間と多大な手間がかかりました。この保管制度を利用した遺言書は、公的に保管されることでその真正性が担保されるため、この面倒な検認手続きが一切不要となります。相続人は相続開始後すぐに相続手続きを開始でき、負担が軽減されます。
Q2: 制度を利用する際、法務局は遺言書の内容(法的に有効か、遺留分を侵害していないか)までチェックしてくれますか?
いいえ、「内容」のチェックは一切行いません。これがこの制度の限界であり、最大の注意点です。法務局の職員が行うのは、あくまで民法が定める「形式」のチェックのみです。具体的には、①全文が自書されているか、②日付があるか、③署名があるか、④押印があるか、といった「外形的な要件」の確認だけです。したがって、その遺言書の内容が法的に妥当か、特定の相続人の「遺留分」を侵害していないか、といった「内容」に関するリーガルチェックは一切行われません。内容が原因の相続トラブルを防ぐ力はこの制度にはなく、「法務局に受理されたから内容は万全だ」と考えるのは危険な誤解です。
Q3: 保管制度を利用した遺言書と、公正証書遺言では、紛争予防の確実性に違いはありますか?
はい、大きな違いがあります。共通点は、どちらも「検認」が不要で、「紛失・改ざん」のリスクがないことです。しかし、決定的な違いは二つあります。第一に「内容のチェック」の有無です。公正証書は公証人が「内容」の法的妥当性まで確認・助言しますが、保管制度は「形式」しか見ません。第二に「遺言能力の確認」のレベルです。公正証書は証人2名の立会いのもと公証人が本人の意思能力を確認しますが、保管制度はそこまで厳密な審査はしません。したがって、「作成時に認知症だった」として遺言の有効性が争われるリスクは、公正証書に比べて保管制度の方が高いと言えます。紛争予防の確実性は、依然として公正証書遺言が高いといえます。
保管制度のメリットと限界
この制度が解決すること:三つの大きな利点
- 家庭裁判所の「検認」が一切不要
相続開始後、相続人が直面する最初のハードルであった検認手続きが省略され、相続手続きにかかる時間と労力が削減されます。 - 紛失・隠匿・改ざんリスクの完全な防止
原本が法務局という公的機関で厳重に保管されるため、自宅保管のような物理的なトラブルを完全に防ぐことができます。 - 法務局による「形式」のチェック機能
申請時に法務局職員が外形的な形式要件をチェックするため、「日付の記載漏れ」や「押印忘れ」といった初歩的なミスによる「遺言無効」のリスクを低減できます。
この制度が解決しないこと:重大な限界点
- 遺言の「内容」の有効性までは保証しない
法務局のチェックはあくまで形式面のみです。「財産の記載漏れ」「表現の曖昧さによる解釈の争い」「遺留分を著しく侵害する内容」など、遺言の「内容」に起因する相続トラブルを防ぐ力はありません。 - 遺言能力の有無は厳密に審査されない
申請時に本人確認は行われますが、公正証書遺言の作成手続きと比べ、遺言者の意思能力が厳密に審査されるわけではありません。そのため、相続開始後に遺言無効確認訴訟を起こされるリスクは、公正証-書遺言に比べて高いまま残っています。 - 必ず「本人」が「法務局」に出頭する必要がある
申請は代理人や郵送では認められず、必ず遺言者本人が、事前に予約した上で、管轄の法務局の窓口に出頭する必要があります。すでに入院中の方や、外出が困難な方にとっては、利用のハードルが高いです。
賢い利用法:「弁護士による作成」+「法務局による保管」
この制度の弱点、すなわち「内容を保証しない」という点は、専門家が関与することで補完できます。この制度をDIYのツールとしてではなく、専門家と連携して使うことで、その価値を向上させることができます。
賢明なアプローチは、以下の二段階プロセスです。
- 弁護士に遺言書(案)の作成を依頼する
まず、弁護士に相談し、財産状況や家族関係に基づき、将来の紛争原因となる「内容」の不備(遺留分侵害、曖昧な表現、財産漏れなど)を徹底的に排除した、法的に完璧な遺言書(本文及び財産目録)を作成してもらいます。 - 完成した遺言書を法務局に保管申請する
弁護士が作成した完璧な内容の遺言書を、ご自身で法務局に持ち込み、保管を申請します。
この「ハイブリッドアプローチ」により、「内容の確実性」(弁護士が保証)と、「保管の安全性及び検認不要」(法務局が保証)という、双方のメリットを享受できます。これにより、公正証書遺言に匹敵するほどの高い安全性を、多くの場合、より低い総コストで実現することが可能になります。
この制度の利用を推奨する人
以下の条件に当てはまる方は、この制度のメリットを享受できます。
- 公正証書遺言ほどの費用はかけたくないが、自宅保管の「紛失リスク」や死後の「検認の負担」は確実に避けたい人。
- 遺言の内容が比較的シンプルで、相続人間の関係も円満であり、将来揉める可能性が低いと自信がある人。
- ご自身で法務局の窓口(平日)に出頭できる健康状態・時間的余裕がある人。
逆に、相続財産が多岐にわたる方、相続関係が複雑な方、相続人間で揉める可能性が高い方は、費用がかかっても「内容」まで公証人が関与する「公正証書遺言」を選択すべきです。
まとめ
法務局の自筆証書遺言書保管制度は、「検認不要」と「紛失・改ざん防止」という二つのメリットを持つ、有用な制度です。しかし、この制度はあくまで遺言書を「保管」するものであり、法務局は遺言の「内容」までは一切保証してくれません。内容が原因の「争族」を防ぐことはできません。この制度を最大限に活用する鍵は、それを単独で利用するのではなく、弁護士などの専門家と連携することです。まず弁護士に相談し、法的に完璧な内容の遺言書を作成した上で、その保管先としてこの制度を利用する。それが、安心して遺言を残すための賢明な選択と言えるでしょう。
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