はじめに
「生前に子どもへ財産を贈与しておけば、相続のときに揉めないだろう」「生前贈与をすれば相続税を節税できる」といったお考えから、生前贈与を検討される方は少なくありません。しかし、生前贈与は相続の場面でさまざまな法的・税務的影響を及ぼします。
例えば、相続人への生前贈与は「特別受益」として遺産分割における持戻しの対象となる場合があり(民法903条)、遺留分算定の基礎財産にも算入されます。また、相続税法上も、一定期間内の生前贈与は相続税の課税価格に加算されるルールがあります。本稿では、生前贈与が相続に与える影響について、特別受益としての持戻し、持戻し免除の意思表示、配偶者への居住用不動産贈与の持戻し免除推定、遺留分算定における扱い、相続税の課税価格への加算(7年ルール)、そして具体的な計算例を交えて解説します。
Q&A
Q1. 生前贈与をすると、相続のときにどのような影響がありますか?
A. 相続人に対する生前贈与は、「特別受益」に該当する場合、遺産分割において相続財産に持ち戻して計算されます(民法903条1項)。つまり、生前に受けた贈与分を考慮したうえで、各相続人の具体的相続分が算定されるため、生前贈与を受けた相続人の取得分が調整されることになります。また、相続税法上も、相続開始前7年以内(2024年1月1日以後の贈与から段階的に適用)の暦年贈与は、相続税の課税価格に加算されます。
Q2. 被相続人が「持戻しをしなくてよい」と言っていた場合はどうなりますか?
A. 被相続人が「持戻し免除の意思表示」をしていた場合、その生前贈与は遺産分割における持戻しの対象から除外されます(民法903条3項)。ただし、持戻し免除の意思表示があっても、遺留分の算定においては生前贈与が基礎財産に含まれるため、他の相続人の遺留分を侵害する場合には遺留分侵害額請求の対象となる可能性があります。
Q3. 配偶者に自宅を生前贈与した場合に特別な扱いはありますか?
A. はい。婚姻期間20年以上の配偶者に対して居住用不動産(またはその取得資金)を贈与した場合、被相続人が持戻し免除の意思表示をしたものと推定されます(民法903条4項、2019年改正)。これにより、居住用不動産の贈与は原則として遺産分割における持戻しの対象外となり、配偶者が自宅に加えて他の遺産もより多く取得できるようになります。
解説
1. 特別受益としての持戻し(民法903条)
民法903条1項は、共同相続人のうち、被相続人から遺贈を受け、または婚姻、養子縁組のため、もしくは生計の資本として贈与を受けた者がいる場合、相続開始時の相続財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし(みなし相続財産)、各相続人の相続分を算定すると規定しています。
この「特別受益」に該当する贈与は、一般に以下のようなものが含まれます。
- 婚姻・養子縁組のための贈与:持参金、支度金、結納金など
- 生計の資本としての贈与:不動産の購入資金、事業資金の提供、住宅取得資金の援助など
- 高額な学費:医学部や海外留学など、特に高額な教育費用(ただし、親の扶養義務の範囲内と認められる通常の学費は特別受益に該当しないとされています)
持戻しの計算では、贈与の価額は相続開始時の時価(贈与時ではなく、相続開始時の評価額)で評価されるのが原則です(判例・通説)。したがって、生前に贈与された不動産が相続開始時に値上がりしていれば、高い評価額で持ち戻されることになります。
2. 持戻し免除の意思表示(民法903条3項)
被相続人は、遺言や生前の意思表示により、特別受益の持戻しを免除する旨の意思表示をすることができます(民法903条3項)。持戻し免除の意思表示がなされると、その贈与は遺産分割における持戻しの対象から除外されます。
持戻し免除の意思表示は、必ずしも明示的な方法による必要はなく、黙示の意思表示も認められるとされています。例えば、贈与の経緯や被相続人と受贈者との関係、贈与の趣旨等を総合的に考慮して、持戻し免除の意思が推認される場合があります。もっとも、黙示の持戻し免除の意思表示の認定は容易ではなく、遺産分割における紛争の火種となることも多いため、生前に明確な意思表示を書面(特に遺言書)で残しておくことが重要です。
ただし、持戻し免除の意思表示があった場合でも、遺留分の算定においては生前贈与が基礎財産に含まれます。そのため、持戻し免除の意思表示があっても、他の相続人の遺留分を侵害する限度で遺留分侵害額請求の対象となる可能性があります。
3. 配偶者への居住用不動産贈与の持戻し免除推定(民法903条4項)
2019年7月1日に施行された改正民法により、婚姻期間が20年以上の夫婦の一方が、他方に対して居住の用に供する建物またはその敷地(居住用不動産)を遺贈または贈与した場合、被相続人が持戻し免除の意思表示をしたものと推定する規定が新設されました(民法903条4項)。
この規定の趣旨は、長年にわたり夫婦として生活を共にしてきた配偶者に対する居住用不動産の贈与は、配偶者の老後の生活保障を目的としたものであることが多く、持戻しの対象とするのは被相続人の通常の意思に反すると考えられることにあります。
この推定規定の適用要件は以下のとおりです。
- 婚姻期間が20年以上であること
- 居住の用に供する建物またはその敷地の遺贈・贈与であること
- 配偶者間の遺贈・贈与であること
この規定はあくまで「推定」であるため、他の相続人が被相続人に持戻し免除の意思がなかったことを立証すれば覆すことが可能ですが、実務上、この推定を覆すことは容易ではないと考えられています。配偶者にとっては、遺産分割において居住用不動産の価額を持ち戻す必要がなくなるため、自宅に加えて預貯金等の他の遺産もより多く取得できるという大きなメリットがあります。
4. 遺留分算定における生前贈与の扱い
遺留分の算定においては、生前贈与が一定の範囲で基礎財産に算入されます。2019年の民法改正により、遺留分算定の基礎財産に含まれる生前贈与の範囲が明確化されました(民法1044条)。
- 相続人に対する贈与:相続開始前10年以内にされた贈与であって、婚姻、養子縁組のため、または生計の資本として受けたものが算入されます(民法1044条3項)。10年より前の贈与は、原則として遺留分算定の基礎財産に含まれません。
- 第三者(相続人以外の者)に対する贈与:相続開始前1年以内にされた贈与が算入されます(民法1044条1項前段)。ただし、贈与の当事者双方が遺留分権利者に損害を加えることを知ってした贈与については、1年以上前のものであっても算入されます(民法1044条1項後段)。
この改正は、相続人に対する贈与について、改正前は時期の制限なく遺留分算定の基礎財産に算入されるとされていたものを、10年以内に限定したものです。これにより、被相続人が行った古い時期の贈与は遺留分の算定から除外されることとなり、法的安定性の向上が図られました。もっとも、10年という期間はなお相当長期であるため、生前贈与を行う際には遺留分との関係を十分に意識する必要があります。
5. 相続税の課税価格への加算(7年ルール)
相続税法上、相続または遺贈により財産を取得した者が、被相続人から相続開始前一定期間内に暦年課税による贈与を受けていた場合、その贈与財産の価額は相続税の課税価格に加算されます(相続税法19条)。
2023年度税制改正により、この加算期間が従来の3年から7年に延長されました。具体的な適用は以下のとおりです。
- 2024年1月1日以後の贈与から段階的に適用:2024年1月1日以後に行われた贈与について、加算期間が順次延長され、2031年1月1日以後の相続から完全に7年間の加算が適用されます。
- 延長された4年間(4年超7年以内)の贈与の特例:加算期間が延長された4年間(相続開始前4年超7年以内)の贈与については、当該期間の贈与財産の価額の合計額から100万円を控除した残額が加算されます。
- 加算される価額は贈与時の時価:相続税の課税価格に加算される贈与財産の価額は、贈与時の時価(贈与税の課税価格の計算の基礎に算入されるべき価額)であり、相続開始時の時価ではありません。これは特別受益の持戻しが相続開始時の時価で評価されることとの重要な違いです。
なお、相続時精算課税制度を選択している場合は、暦年課税の7年ルールとは異なり、相続時精算課税の適用を受けた贈与財産の全額が相続税の課税価格に加算されます(ただし、2024年1月1日以後の贈与については、年間110万円の基礎控除が新設されています)。
6. 具体的な計算例
生前贈与が遺産分割と相続税にどのような影響を与えるか、具体例で確認しましょう。
【事例】
- 被相続人A(2026年死亡)の相続人は、配偶者B、長男C、長女Dの3名
- 相続開始時の遺産:預貯金6,000万円
- Aは生前に長男Cに対して住宅取得資金2,000万円を贈与していた(相続開始5年前)
- 法定相続分:配偶者B=1/2、長男C=1/4、長女D=1/4
(1)遺産分割における計算(特別受益の持戻し)
みなし相続財産=相続開始時の遺産6,000万円+特別受益2,000万円=8,000万円。各相続人の具体的相続分は、配偶者B=8,000万円×1/2=4,000万円、長男C=8,000万円×1/4−2,000万円(既に取得済み)=0万円、長女D=8,000万円×1/4=2,000万円。したがって、遺産の預貯金6,000万円は、配偶者Bが4,000万円、長女Dが2,000万円を取得し、長男Cは既に2,000万円の特別受益を得ているため、遺産からの取得はゼロとなります。
(2)相続税における計算(課税価格への加算)
長男Cへの贈与は相続開始前5年以内であるため、相続税の課税価格に加算されます。長男Cの相続税の課税価格には、贈与時の価額2,000万円が加算されます(遺産分割で遺産からの取得がゼロであっても、贈与加算により相続税が課税される場合があります)。なお、贈与時に支払った贈与税がある場合は、相続税額から控除されます(贈与税額控除)。
(3)持戻し免除の意思表示があった場合
仮にAが長男Cへの贈与について持戻し免除の意思表示をしていた場合、遺産分割においては贈与の持戻しは行われません。この場合、遺産6,000万円を法定相続分で分割し、配偶者B=3,000万円、長男C=1,500万円、長女D=1,500万円となります。ただし、相続税法上の贈与加算は持戻し免除の意思表示の有無にかかわらず適用されるため、長男Cの相続税の課税価格には贈与時の価額が加算されます。
7. 相続時精算課税制度との比較
生前贈与の方法としては、暦年課税のほかに相続時精算課税制度(相続税法21条の9以下)があります。相続時精算課税制度は、60歳以上の父母・祖父母から18歳以上の子・孫への贈与について、贈与時に軽減された贈与税を納付し、相続時に精算する仕組みです。
- 特別控除額:累計2,500万円まで贈与税が非課税(超過分は一律20%の贈与税)
- 2024年改正:年間110万円の基礎控除が新設され、110万円以下の贈与は申告不要かつ相続税の課税価格にも加算されません
- 加算される価額:相続時精算課税適用財産は、贈与時の価額で相続税の課税価格に加算されます(年間110万円の基礎控除分を除く)
暦年課税と相続時精算課税は一長一短があり、贈与財産の種類、金額、贈与者の年齢・健康状態、相続人の構成等を総合的に考慮して選択する必要があります。特に、値上がりが見込まれる財産については、贈与時の低い価額で相続税が計算される相続時精算課税が有利となる場合があります。
8. 生前贈与を行う際の留意点
生前贈与が相続に与える影響を踏まえ、生前贈与を行う際には以下の点に留意する必要があります。
- 特別受益の持戻しを意識する:相続人への贈与は、遺産分割において持ち戻される可能性があることを認識したうえで、持戻し免除の意思表示を遺言書等で明確にしておくことが重要です。
- 遺留分への配慮:相続人への生前贈与は、10年以内のものが遺留分算定の基礎財産に算入されます。多額の贈与を特定の相続人に集中させると、遺留分侵害額請求のリスクが高まるため、他の相続人の遺留分を考慮した贈与計画が必要です。
- 相続税の加算ルールを理解する:7年ルールの適用により、相続直前の贈与は相続税の節税効果が限定されます。長期的な視点での贈与計画が求められます。
- 贈与の証拠を残す:贈与契約書の作成、銀行振込による資金移動、贈与税の申告等により、贈与の事実と時期を明確に記録しておくことが、将来の紛争予防につながります。
弁護士に相談するメリット
生前贈与と相続の関係は、民法と相続税法の両面から複雑な論点が交錯する分野です。弁護士に相談することには以下のようなメリットがあります。
- 特別受益該当性の判断:過去の贈与が特別受益に該当するかどうか、持戻しの対象となるかについて、判例・裁判例を踏まえた的確な判断を提供します。
- 持戻し免除を活用した遺言書の作成:持戻し免除の意思表示を含む遺言書を法的に有効な形で作成するサポートを行い、将来の紛争を予防します。
- 遺留分を考慮した生前贈与計画の策定:他の相続人の遺留分を侵害しない範囲での贈与計画を策定し、遺留分侵害額請求のリスクを最小化します。
- 税務面との連携:相続税の加算ルールや相続時精算課税制度を踏まえた税務面のアドバイスについて、税理士と連携したワンストップのサポートが可能です。
- 遺産分割紛争の解決:生前贈与をめぐる特別受益の争いや遺留分侵害額請求について、遺産分割調停・審判の代理を含む紛争解決を支援します。
弁護士法人長瀬総合法律事務所では、茨城県内4拠点(牛久本部・日立支所・水戸支所・守谷支所)で相続に関するご相談を承っております。生前贈与と相続の関係についてお悩みの方は、初回のご相談から解決までサポートが可能ですので、お気軽にご相談ください。
まとめ
本稿では、生前贈与が相続に与える影響について、法律面・税務面の双方から解説しました。要点を整理すると以下のとおりです。
- 相続人への生前贈与は特別受益に該当し得るものであり、遺産分割において持ち戻して計算される(民法903条1項)
- 被相続人は持戻し免除の意思表示により持戻しを排除できるが、遺留分算定には影響しない(民法903条3項)
- 婚姻期間20年以上の配偶者への居住用不動産贈与は持戻し免除が推定される(民法903条4項、2019年改正)
- 遺留分算定の基礎財産には、相続人への贈与は10年以内、第三者への贈与は1年以内のものが算入される(民法1044条)
- 相続税法上、相続開始前7年以内の暦年贈与は相続税の課税価格に加算される(2024年改正、段階的適用)
- 生前贈与を行う際には、特別受益・遺留分・相続税加算の各制度を踏まえた総合的な計画が不可欠である
生前贈与は、適切に活用すれば相続対策として有効な手段ですが、遺産分割における特別受益の持戻し、遺留分侵害額請求、相続税の課税価格への加算といった影響を十分に理解したうえで行う必要があります。「生前贈与を検討しているが遺産分割への影響が心配」「特別受益の持戻しを免除する遺言書を作成したい」「相続税の贈与加算について相談したい」など、生前贈与と相続に関するお悩みがございましたら、弁護士法人長瀬総合法律事務所までお気軽にご相談ください。
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