事案を一部抽象化・修正しています
相談前の状況
Xさん(仮名・男性)の母が亡くなった後、母が残した公正証書遺言が提示されました。
公正証書遺言には、「すべての財産を長男(Xさんの兄であるAさん)に遺贈する」という内容が記載されていました。相続人は子2名で、XさんとAさんの2人です。しかし、遺言書の内容は「全財産をAさんに譲る」というものでした。
母は生前、Aさんに対しては「あなたには色々と面倒を見てもらったから、きちんとお礼がしたい」「公正証書遺言の方が安心だから作成しておく」と話していたそうです。一方でXさんは、「母は昔から兄に対して甘い面があったが、自分に相続分がまったくない内容の遺言を作成するとは想像していなかった」と憤りを隠せませんでした。
さらに問題だったのは、Xさんが母と同居し、長年にわたって実家を維持管理してきたという事実です。母の介護が必要になってからは、特にXさんの負担が大きくなりました。兄のAさんは結婚し別の場所で暮らしており、正月やお盆などに顔を出す程度だったそうです。Xさんとしては、
- 自分は母の介護を引き受けてきたのに、遺言書では何の配慮もない。
- 亡母が暮らしていた家は、生活の基盤であると同時に自分の思い出の詰まった場所。どうしても手放したくない。
- 今後もこの実家に住み続けたいし、できれば自分が取得したい。
という切実な思いがありました。しかし、公正証書遺言という形式で「全財産をAさんに遺贈する」と書かれている以上、法律上は遺言書の効力が優先されます。仮にXさんが無視して実家に住み続けようとしても、Aさんから「立ち退いてほしい」と請求される可能性があります。
そこでXさんは、「遺留分」を主張することを検討しました。遺留分とは、相続人に保証されている最低限の取り分のことを指し、仮に公正証書遺言であっても、他の相続人の遺留分を侵害する内容は無条件にそのまま有効になるとは限らないのです。
とはいえ、Xさんには法律の専門知識がなく、遺留分侵害額を具体的にどのように算定すればよいのかも分かりません。また、Aさんとの関係はもともとそれほど良好とはいえず、今回の遺言書の内容をめぐって一触即発の状態でした。Xさん自身も精神的な負担を感じており、「弁護士に相談したうえで、自分に何ができるかを知りたい」と考え、当法律事務所に相談に来られました。
3 相談後の対応
(1)方針決定:遺留分侵害額請求と財産全体の把握
当事務所の弁護士がXさんの話を詳しくうかがったところ、以下のような問題点が見えてきました。
- 公正証書遺言の効力
公正証書遺言は法律上の要件を満たして作成されているため、基本的に有効性が高い。ただし、遺留分をゼロにしてよいわけではなく、遺留分を侵害している場合は、その侵害部分について金銭請求(遺留分侵害額請求)が可能である。 - 遺産構成の把握
実家の土地と建物は母名義のまま。母には預貯金がそこまで多くはなかったが、使途不明金が存在する可能性も否定できない。Aさんが母の口座からどの程度のお金を引き出していたのかも要確認。 - Xさんの希望
とにかく「住み慣れた実家を手放したくない」という強い希望がある。将来にわたってもこの家に住み続けたいという意向がある。
これらの情報を踏まえ、弁護士はまず「遺留分侵害額請求」を正式に行う方針を固めました。その際に重要なのは、遺産全体の範囲と評価を正確に把握することです。特に、不動産の価値がどの程度なのかによっては、Xさんが遺留分を取得するだけでは実家を確保するのが難しい可能性があります。そこで、財産調査や不動産評価を専門家と連携して早急に実施することにしました。
(2)財産調査と評価:使途不明金の指摘
母の銀行口座の取引履歴を取り寄せたり、登記情報を精査したりして財産状況を把握したところ、いくつかの不審な入出金が確認されました。
- 高額な引き出し:母が亡くなる数年前から、ある時期にまとまった金額(数百万単位)が複数回引き出されていた。
- 振込先が不明:引き出したお金の振込先がはっきりしないケースがあり、兄のAさんがどのように管理していたのか不明。
Xさん自身も、「母は晩年、そこまで大きな買い物をしていた様子はない」と話していました。使途不明金が相続財産から差し引かれている可能性がある以上、これがそのまま遺留分の計算に大きく影響するおそれがありました。そのため、当事務所ではAさん側に対して「母の財産管理状況の開示」を強く求めました。
もし、母がAさんに対して生前贈与を行っていたのであれば、その一部は「特別受益」に該当する可能性があります。特別受益として考慮されると、Aさんが先に多く受け取った分を差し引いたうえで遺産総額を算定し、さらに遺留分を計算することになるため、結果的にはXさんの取り分が増えるかもしれません。こうした法律上のしくみを活用し、可能な限りXさんに有利な主張を展開するべく財産調査を行いました。
(3)不動産評価と交渉の展開
次に、不動産の評価については、固定資産税評価額や路線価だけでなく、実際の市場価格に近い査定書も参考にしました。一般的に、不動産の価値は一律の指標だけで判断するのではなく、実勢価格や地域の将来性、建物の状態など多角的に評価されます。
- Aさんの主張
交渉の初期段階でAさん(兄)は「公正証書遺言に書かれている以上、遺言どおりに従うべきだ。実家は私のものだ」と主張しました。しかし、弁護士が「遺留分を侵害している場合、その侵害額に相当する金銭を支払う義務がある」と説明し、さらに使途不明金の可能性や特別受益について言及すると、Aさん側も態度を軟化させ始めました。
ここで活きてきたのが「水平思考」に基づく交渉戦略です。通常であれば、
- Xさんが遺留分だけは確保し、実家の所有権はAさんのまま
- 金銭的に折り合いをつけて不動産を売却し、その売却代金を分配
といった解決策が考えられます。しかし、Xさんは「実家そのもの」を強く希望しており、Aさん側には「不動産を取得してもリフォーム費用や固定資産税などの負担がかかる」というデメリットもあります。そこで、当事務所の弁護士は、以下のような発想で交渉を進めました。
- 使途不明金の疑念を追及
もしこのまま協議が長引いて裁判になれば、Aさん側は使途不明金の説明責任を問われる可能性が高い。公正証書遺言の効力は強いが、遺留分問題や特別受益の問題で泥沼化することもあり得る。
このように、従来の相続トラブルであれば「遺留分に見合った金銭を受け取って終わり」というパターンが多いなか、Xさんの希望(実家を確保)とAさんの希望(母の遺言どおりに自分が多めに相続したいという気持ち)とを再度見直し、「Xさんに実家を渡す代わりに、多少多めの金銭をAさんに支払う」という方向へ交渉を展開していきました。
(4)早期の合意と実家取得の実現
こうした戦略のもと、弁護士は双方の落としどころを探り続けました。結果的に、
- Xさんが実家の土地と建物を単独で相続する
- Aさんに対しては金銭請求をしない
という形で合意がまとまりました。
また、Aさん側から「母が残した投資信託の一部を自分が引き継ぎたい」という希望が出たため、Xさんが応じる代わりに、使途不明金についてはこれ以上追及しないこととするという条件も加わりました。もちろん、完全にクリアになったわけではありませんが、Xさんとしては「裁判で争うよりも早期に実家を確保できる」というメリットを優先しました。
この結果、紛争は裁判には至らず、協議による早期解決となりました。Xさんは最終的に「遺留分を超過する形で実家を取得できた」と、大変満足されていました。
4 担当弁護士からのコメント
今回の事例では、公正証書遺言という強い証拠力を持つ遺言があり、なおかつ「全財産を長男に遺贈する」という偏った内容だったため、依頼者のXさんは初め、「本当に自分が相続できるのだろうか」という大きな不安を抱えていました。しかし、民法上は一定の相続人に対して「遺留分」が認められており、遺言の内容がどれだけ偏っていても遺留分を無視して良いわけではありません。今回のように、きちんと法的手段を踏めば、最低限の取り分以上の利益を確保できる可能性もあります。
特に印象的だったのは、水平思考が功を奏した点です。相続紛争では、「遺留分をいくら認めるか」という狭い争点に終始しがちですが、当事者の本当の希望は必ずしも金銭だけではありません。Xさんのように「実家に住み続けたい」という気持ちが強い場合には、通常の「遺留分計算」から一歩踏み出して、不動産の取得を最優先とする解決策を模索することが大切です。その上で、「兄(Aさん)にどれだけ金銭的なメリットを提供できれば、Aさんも納得するのか」を逆算し、交渉の着地点を見出しました。
もう一つ、今回の和解においては、使途不明金の存在や特別受益の可能性が交渉上の大きなカードになりました。仮に裁判となった場合、Aさん側も詳細に説明を求められますし、時間も費用もかさむリスクを負います。こうしたリスクを提示することで、相手方としても「長引く裁判を避け、少しでも早く解決する方が得策だ」と考えるようになるのです。結果として、「実家はXさんが単独取得し、その代わりにAさんには遺留分を超えた金銭を払う」という形で合意が成立しました。
紛争が拗れると、裁判に突入してしまい、感情的なしこりも大きくなりがちです。遺産分割調停や審判など、公的な手続きを通して解決する方法ももちろんありますが、依頼者が本当に望む「現実的な解決」を見据えたとき、早期の段階でお互いの利害を調整し、和解に持ち込むメリットは非常に大きいといえます。
当事務所では、遺留分侵害額請求が絡む複雑な相続問題においても、依頼者の方が望む着地点を最優先に考えます。そのためには、法的な論点だけでなく、相手の心理や将来的な費用対効果、相続人同士の長期的な関係など、あらゆる要素を多角的に検討する(水平思考)姿勢が欠かせません。今回も、そのアプローチが功を奏し、Xさんにとっては何よりも大切な実家を確保しつつ、Aさんとの裁判リスクも回避できました。
相続問題は、ともすれば家族の縁が切れてしまうほど感情的になりやすい分野です。もし「遺言書の内容が不公平だ」「遺留分をきちんと主張したい」「ただ争いたいわけではなく、実家や形見を守りたい」といったお悩みがあれば、ぜひお早めにご相談ください。法的な手段や手続だけでなく、当事者同士の希望に寄り添いながら、双方にメリットのある解決策を探すことを心がけております。今回の解決事例が、同じようなお悩みを抱える方の参考になれば幸いです。
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